勉強でつまずく理由

「宿題」について考える

「宿題」です。

宿題に初めて出会うのは小学校入学後が大半でしょうか?

習い事をしている子は、もっと幼い頃に出会うかもしれません。

宿題の目的としては、「知識の定着」が多いと思います。

新しい単元を自分で調べる予習タイプの場合もありますよね。

必ず、そこには出す目的があるはずなのです。

ただ、その「目的があるはずだ」という部分をずっと他人任せにしてはいけないと思うのです。

傍から見ても、明らかに「何それ?何か意味あるの?」という宿題もあるからです。

まるで苦行のような宿題、見たことありませんか?

作業的なことを、ひたすら繰り返させる宿題です。

「全ての英単語を100回ずつ書きなさい」というようなものですね。

英単語を練習するのは悪い事ではありません。初学者なら、むしろ当たり前です。

しかし、もう覚えている子にはまったく意味はありません。

初学者の子でも、100個がノルマなら、途中からアタマは働いていませんよね。

勉強嫌いの始まりです。

現時点での能力を遙かに超えた難易度の問題を、大量に解かせるような場合も効果的なものとは言えません。

高校で解答を渡さないで出す宿題とかが、このパターンです。

その子の頭がフル回転するようなレベルのものでなければ、覚えるべきものも覚えられません。

宿題は時間をかければ良いというものではありません。

無意味に時間がかかるような宿題は出すべきでは無いと思います。

保護者に皆様からのご要望で「うちの子は宿題以外勉強しないんで、もっともっと宿題を出して下さい。」というものがあります。

ただ、これは「宿題を出してほしい」というのがご要望なのではなく、「自分から自発的に勉強してほしい」というのが本当のご要望なのだと思うんです。

となると、強制的にやらせるのでは、いつまで経っても自発的に勉強ようにならないでしょう。

むしろ、自分から勉強をする機会を奪ってしまうかもしれません。

宿題も勉強する機会としては大切だと思うのですが、自発的に勉強するには、もっと様々なことに興味を向かせてみないと、「知りたい」という気持ちが無くなってしまうのかもしれません。

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