子育て

第3回:「読む力」はあるのに「書けない」時代 ~共通テスト長文化の落とし穴~

はじめに

ここまで伝えてきた、大学教育の「高校化」と「卒論が書けない学生」の増加は、一部の学生だけの問題ではない。

それではなぜ、子どもたちは「読むことはできるのに、書けない」状態になってしまったのだろうか?

一見、矛盾しているように感じるだろう。

なぜなら、大学入学共通テストや全国模試は年々「長文化」しており、読む文章量はむしろ増えているからだ。

保護者の方の中には、「あれだけ大量の文章を読みこなしているのだから、文章力も伸びているはず」と考える方も少なくないだろう。

しかし実際は、「読む力」と「書く力」はまったく別の能力なのだ。

そして今の教育環境は、「読む力」ばかりを試す一方で、「書く力」を鍛える場をほとんど用意していないと言えるだろう。

共通テストの「長文化」が意味するもの

たしかに共通テストの国語や英語を見れば、以前よりも文章が長くなっている。

でも、要求されていることは、

大量の文章を限られた時間で読み取り、

必要な情報を見つけ出し、

適切な選択肢を選ぶ。

この流れにすぎない。

つまり試されているのは 「情報処理力」 なんだ。

「読解」ではなく「検索と判断」に近い作業と言えるんだよね。

ここには「自分の言葉で説明する」や「筋道を立てて書く」といった要素はほとんど含まれていない。

だから、 いくら長文を読み慣れても、それが「書く力」につながるわけではないんだ。

なぜ「書く力」が軽視されるのか?

この背景には、教育政策の迷走がある。

本来、大学入学共通テストの導入時には「記述式問題」が検討されていた。

自分の言葉で説明する問題

論理的にまとめる問題

を導入し、文章力をきちんと測ろうとしたのだ。

しかし、採点の公平性や人員・コストの問題から、記述式は頓挫。

結果として、現在の共通テストは「読む」ことに特化した試験になり、「書く力」を問う要素は置き去りにされた。

学校現場も、当然入試を最優先する。

「書かなくても入れる」なら、書く練習に時間を割く余裕はない。

結果、授業も塾も「解き方」指導が中心になり、「文章を書く訓練」は後回しになる。

こうして「読む力」と「書く力」の乖離が生じていく。

「読む力」と「書く力」はどこが違う?

子どもが「読むことはできるのに書けない」のは当然のことだ。

なぜなら、

読む:他人が作った文章の筋道をたどる行為。

書く:自分で筋道を立て、ゼロから組み立てる行為。

両者はまったく異なるスキルだからだ。

読めるからといって書けるわけではない。

たとえば音楽で考えると、

「聴くことができる」=音楽を楽しむ力。

「演奏することができる」=技術と訓練が必要。

読むことと書くことの関係も、これと同じだ。

社会が求めるのは「書く力」

今の社会で最も求められるのは、「書く力」だ。

企画を立てるには、文章で説明する必要がある。

プレゼンをするにも、筋道を立てて原稿を書く必要がある。

報告・連絡・相談も、要点を文章でまとめる力が必要だ。

AI時代だからこそ、「自分の考えを言葉にする力」が差を生みやすくなる。

読み取るだけでは「受け身の人材」で終わってしまうが、

書くことができれば「発信できる人材」になれるのだから。

保護者ができること

では、どうすれば子どもに「書く力」を身につけさせられるのだろうか。

1. 読書を「アウトプット型」に変える

本を読んだら「要約」を口頭や文章で言わせる。

感想だけでなく「筆者が言いたかったこと」をまとめさせる。

2. 日常の出来事を「文章化」させる

今日の出来事を日記に書く。

学校での体験を「新聞記事風」にまとめる。

3. 親子の会話で「理由」を聞く

「どう思った?」だけでなく「なぜそう思った?」を聞く。

筋道を立てて話す習慣が、そのまま文章力の基礎になる。

4. 書いたものを「読者」として受け止める

「ここは面白いね」「ここはわかりにくいね」と具体的にフィードバックする。

正解を押し付けるのではなく、「伝わった・伝わらなかった」で評価する。

まとめ

共通テストや模試の長文化は、あくまで「読む力」を問うものだ。
その一方で、「書く力」は試されないまま放置され、大学や社会で大きな壁となって立ちはだかってしまう。

「読む力」と「書く力」は別物だ。
そして本当に必要なのは、「書く力=考えを組み立て、伝える力」なんだ。

だからこそ、保護者としてできることは、家庭で小さなアウトプットを積み重ねることだろう。

読んだら要約する

話したら文章にする

書いたら読んで伝える

その繰り返しが、子どもの未来を支える土台になるのだから。

最後に

3回にわたって、大学教育の高校化、卒論が書けない学生の増加、そして読む力と書く力の乖離というテーマを見てきた。

共通しているのは、「大学や学校に任せきりにしていては、子どもの文章力は育たない」 という現実だ。

保護者が日常の中で「説明させる・書かせる・伝えさせる」習慣を意識すること。

それがこれからの時代を生き抜く力を子どもに与える、最も確かな教育投資になるのではないだろうか?

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