高校1年生の国語(漢文)の教科書には、
昔の偉人の言葉やエピソードがたくさん載っています。
僕自身は、高校生の頃、
「ここはレ点で返る」
「ここはこの順番で読む」といった読み方ばかりに気を取られていて、
中身なんてちっとも頭に入っていませんでした。
でも、いろいろな経験を経て大人になった今、ふとその言葉たちの本当の意味に気づかされることがあります。
今の僕が、漢文の教科書の中で一番共感できる言葉。
それは間違いなくこれです。
「鶏口(けいこう)となるも、牛後(ぎゅうご)となるなかれ」
「巨大な牛の尻尾(末端)として振り回されるくらいなら、小さな鶏の頭(トップ)として自分の意志で生きろ」という意味を持つ、2000年以上前の中国の言葉です。
これからの不確実な時代を生き抜くための、一番大切なヒントがここに隠されている気がします。
世間の常識は「見事なまでに逆」を教えている
この言葉が教えてくれる本質とは裏腹に、現代の世の中の常識や、多くの大人が子どもたちに教えている進路指導は、見事なまでにこの「逆」です。
「とりあえず有名な大学に入りなさい」
「首都圏の安定した大企業に入りなさい」
これは要するに、
「たとえ自分の意志を持たない歯車(尻尾)になったとしても、所属する組織(牛)が巨大であれば一生安心だから、必死にそこにしがみつきなさい」
という教えです。
経済が右肩上がりで、牛全体がものすごい勢いで前進していた時代であれば、それでも良かったのでしょう。
しかし今、その「巨大な牛」自体が迷走し、社会のあちこちで軋みが生じています。
満員電車に揺られ、やりたくもない仕事のために1日の3分の1という時間を「行かさざるを得ない」状態で消耗していく。
それはまさに、方向も分からない巨大な牛の尻尾に縛り付けられ、理不尽に振り回されている状態そのものです。
「牛の尻尾」を手放した先にある豊かさ
僕自身、かつては首都圏で働き、その後岩手にUターンをしてきました。
その経験から実感しているのは、「牛の尻尾にしがみつくのをやめた途端、信じられないほど豊かな世界が広がっている」ということです。
これまでの常識で考えれば、地方で暮らすことは「就職先がない」「所得が下がる」といった妥協のように見えるかもしれません。
しかし、「どこかの組織に依存して給料をもらう」という働き方の視点を少しだけ変えてみると、景色は一変します。
自然豊かで、満員電車のストレスもない地方都市という「自分サイズの環境(鶏)」の中で、自分の頭で考え、自分の責任が持てる範囲で生きていく。
世間が押し付けてくる「もっと稼がなきゃ」「もっと立派にならなきゃ」という重たいノイズをバッサリと引き算し、「自分なりの豊かさ」だけで生きていくと決める。
すると不思議なことに、同級生が都会でいくら出世していようが、SNSで誰かがキラキラした生活をアピールしていようが、全く気にならなくなります。
「それは他人の人生であって、自分の人生には関係ない」と、思えるようになるからです。
結論は「どっちでもいい」。自分で決めることがすべて
ここまで書いておいて何ですが、僕は決して「絶対に鶏口(小さな組織や独立)を目指すべきだ!牛後(大きな組織)はダメだ!」と主張したいわけではありません。
そんなことを言ってしまえば、それこそが新しい「こうあるべき」という窮屈な押し付けになってしまいます。
大きな組織の中で、歯車の一つとして機能することに充実感を覚える人もいます。
決められた枠組みの中で実力を発揮するのが得意な人にとって、牛の尻尾はとても心地よく、豊かな場所になり得ます。
それはそれで全く素晴らしいことです。
つまり、結論としては「どっちでもいい」のです。
一番の問題は、世間の「こうあるべき」という声に流されて、
無自覚になんとなく牛の尻尾にしがみつき、文句を言いながらしがみつき続けること
です。
大きな組織で生きるか、自分サイズの環境で生きるか。
どちらを選んでも自由です。
ただ、他人の評価や不要なノイズを引き算し、最後は自分の頭で考え、自分の足で選ぶ。
それこそが、情報過多の時代を生き抜くための、一番の強さになるかもしれません。
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