子育て

世界基準を追い求めることの危険性―日本の大学教育と国体を守る大切さ

近年、日本の大学教育は国際的な競争にさらされている。

世界大学ランキングに名を連ねることが、大学の評価基準として重要視されるようになり、英語を公用語にし、国際的な基準に合わせた教育が推進されている。

しかし、これを進めることには、いくつかの重大な問題が隠れているのではないだろうか?

今回は、世界基準に過剰に依存することの危険性と、それに対する日本の大学教育のあり方について考えてみたいと思う。

特に、小中高生の保護者の皆さんに向けて、子どもたちがどんな教育環境で学んでいるのか、またそれをどう評価すべきかという視点で話してみたい。

1. 世界基準を追い求める時の落とし穴

日本の大学が世界ランキングを気にしすぎているという現状は、皆さんも感じたことがあるかもしれない。

実際、大学の世界ランキングが上がると、海外からの学生や研究者が増え、大学の名声が高まりやすくなるという期待が背後にある。

このため、大学は積極的に英語を公用語にし、グローバル化を進めることで、ランキングを向上させようとしている。

しかし、ここで注意しなければならないのは、世界基準を追い求めることが本当に日本の教育にとって良いことなのかという点だ。

世界ランキングを上げるために、外国語で授業を行うことが増え、英語の能力がないと大学に通えなくなるのでは、本来の教育目的が薄れてしまう。

母語での深い学びができなくなり、学問の質が下がることは、決して良い結果を生まないだろう。

日本の教育は、日本の文化や社会に根差しており、その中で育まれてきた。

日本語で学べるからこそ深い理解が可能になり、思考力が育まれてきたのだ。

それを英語化してしまったら、果たしてその深みが維持できるのだろうか?(いや、どう考えても無理でしょ。)

2. 日本語で学ぶことの大切さ

日本語での教育が持つ最大の魅力は、その言語的な深さ文化的な背景だ。

日本語は、単に情報を伝えるためのツールではなく、日本人の思考や感性が色濃く反映されている言語だ。

例えば、漢字一つ一つにも意味が込められており、それを理解することで深い思索が可能となる。

また、日本語で学問を深めることは、単に学問的な知識を得ること以上に、日本独自の思想や価値観を理解するためにも重要だ。

日本には長い歴史と伝統があり、それらを学びながら自国の文化を理解することは、グローバル社会でも非常に価値のある力となる。

英語を公用語にすることで、この日本の「強み」を失ってしまうことが懸念される。

特に、専門的な知識を学ぶ際、言葉が持つ微妙なニュアンスや、文化に基づいた考え方が非常に大きな意味を持つ。

日本語であればこそ、しっかりと理解できるものも、英語で学ぶと誤解が生まれたり、理解が浅くなったりする危険性が高くなるのは間違いない。

3. 世界基準を求める背後にある「国際化」の誤解

大学の世界ランキングを上げるために、英語化や国際化が推進されているが、本当に国際化を進めることが大学や日本にとって必要なことなのだろうか?

「世界的に競争力を持つ大学」というのは、確かに素晴らしい目標かもしれない。

しかし、その競争力を一方向に偏らせることは問題だ。

日本の大学が「世界基準」を重視するあまり、日本の社会や文化に合った教育が置き去りにされていないか、再確認することが求められる。

海外からの学生を迎え入れることが国際化だという考え方もあるが、日本の大学に通う学生が、日本の社会や文化に貢献できる力を養うことが最も大切だという視点を忘れてはいけない。

4. 日本の大学が目指すべき方向性

では、これからの日本の大学はどのような方向性を目指すべきなのだろうか?

まず、国体の維持という観点を忘れずに、日本の社会に貢献する人材を育成することを目的とした教育が求められる。

日本独自の文化や価値観をしっかりと学べる環境を整え、その中で世界に通用する能力を育てることが重要だ。

次に、グローバル化の進展に対応するための英語教育の充実は、決して無視してはいけない。

しかし、それが日本語教育を犠牲にする形にならないように、バランスを取ることが大切だ。

英語を学ぶこと自体は悪いことではないが、それを日本語での教育の質を犠牲にする形で進めるべきではないと考える。

さらに、学問の深さを保つために、日本語で専門教育が行えることが、日本の強みであるという自信を持ち続けることが必要だ。

日本の大学が他国に劣らないレベルで教育を提供し、世界に通用する知識を育むためには、英語化ではなく、日本語で深い学びをすることがまず第一だと言えるだろう。

5. まとめ

日本の大学教育が抱える問題を解決するためには、世界基準を追い求めることが必ずしも最善策ではないという視点を持つことが重要だ。

私たちが育てるべきは、国際的に通用する能力を持ちながらも、日本の文化や価値観を大切にできる人材である。

そのために、日本語での深い学びができる教育を守ることが、未来を担う子どもたちにとって最も大切なことではないだろうか。

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