はじめに
ここまで伝えてきた、大学教育の「高校化」と「卒論が書けない学生」の増加は、一部の学生だけの問題ではない。
それではなぜ、子どもたちは「読むことはできるのに、書けない」状態になってしまったのだろうか?
一見、矛盾しているように感じるだろう。
なぜなら、大学入学共通テストや全国模試は年々「長文化」しており、読む文章量はむしろ増えているからだ。
保護者の方の中には、「あれだけ大量の文章を読みこなしているのだから、文章力も伸びているはず」と考える方も少なくないだろう。
しかし実際は、「読む力」と「書く力」はまったく別の能力なのだ。
そして今の教育環境は、「読む力」ばかりを試す一方で、「書く力」を鍛える場をほとんど用意していないと言えるだろう。
共通テストの「長文化」が意味するもの
たしかに共通テストの国語や英語を見れば、以前よりも文章が長くなっている。
でも、要求されていることは、
大量の文章を限られた時間で読み取り、
必要な情報を見つけ出し、
適切な選択肢を選ぶ。
この流れにすぎない。
つまり試されているのは 「情報処理力」 なんだ。
「読解」ではなく「検索と判断」に近い作業と言えるんだよね。
ここには「自分の言葉で説明する」や「筋道を立てて書く」といった要素はほとんど含まれていない。
だから、 いくら長文を読み慣れても、それが「書く力」につながるわけではないんだ。
なぜ「書く力」が軽視されるのか?
この背景には、教育政策の迷走がある。
本来、大学入学共通テストの導入時には「記述式問題」が検討されていた。
自分の言葉で説明する問題
論理的にまとめる問題
を導入し、文章力をきちんと測ろうとしたのだ。
しかし、採点の公平性や人員・コストの問題から、記述式は頓挫。
結果として、現在の共通テストは「読む」ことに特化した試験になり、「書く力」を問う要素は置き去りにされた。
学校現場も、当然入試を最優先する。
「書かなくても入れる」なら、書く練習に時間を割く余裕はない。
結果、授業も塾も「解き方」指導が中心になり、「文章を書く訓練」は後回しになる。
こうして「読む力」と「書く力」の乖離が生じていく。
「読む力」と「書く力」はどこが違う?
子どもが「読むことはできるのに書けない」のは当然のことだ。
なぜなら、
読む:他人が作った文章の筋道をたどる行為。
書く:自分で筋道を立て、ゼロから組み立てる行為。
両者はまったく異なるスキルだからだ。
読めるからといって書けるわけではない。
たとえば音楽で考えると、
「聴くことができる」=音楽を楽しむ力。
「演奏することができる」=技術と訓練が必要。
読むことと書くことの関係も、これと同じだ。
社会が求めるのは「書く力」
今の社会で最も求められるのは、「書く力」だ。
企画を立てるには、文章で説明する必要がある。
プレゼンをするにも、筋道を立てて原稿を書く必要がある。
報告・連絡・相談も、要点を文章でまとめる力が必要だ。
AI時代だからこそ、「自分の考えを言葉にする力」が差を生みやすくなる。
読み取るだけでは「受け身の人材」で終わってしまうが、
書くことができれば「発信できる人材」になれるのだから。
保護者ができること
では、どうすれば子どもに「書く力」を身につけさせられるのだろうか。
1. 読書を「アウトプット型」に変える
本を読んだら「要約」を口頭や文章で言わせる。
感想だけでなく「筆者が言いたかったこと」をまとめさせる。
2. 日常の出来事を「文章化」させる
今日の出来事を日記に書く。
学校での体験を「新聞記事風」にまとめる。
3. 親子の会話で「理由」を聞く
「どう思った?」だけでなく「なぜそう思った?」を聞く。
筋道を立てて話す習慣が、そのまま文章力の基礎になる。
4. 書いたものを「読者」として受け止める
「ここは面白いね」「ここはわかりにくいね」と具体的にフィードバックする。
正解を押し付けるのではなく、「伝わった・伝わらなかった」で評価する。
まとめ
共通テストや模試の長文化は、あくまで「読む力」を問うものだ。
その一方で、「書く力」は試されないまま放置され、大学や社会で大きな壁となって立ちはだかってしまう。
「読む力」と「書く力」は別物だ。
そして本当に必要なのは、「書く力=考えを組み立て、伝える力」なんだ。
だからこそ、保護者としてできることは、家庭で小さなアウトプットを積み重ねることだろう。
読んだら要約する
話したら文章にする
書いたら読んで伝える
その繰り返しが、子どもの未来を支える土台になるのだから。
最後に
3回にわたって、大学教育の高校化、卒論が書けない学生の増加、そして読む力と書く力の乖離というテーマを見てきた。
共通しているのは、「大学や学校に任せきりにしていては、子どもの文章力は育たない」 という現実だ。
保護者が日常の中で「説明させる・書かせる・伝えさせる」習慣を意識すること。
それがこれからの時代を生き抜く力を子どもに与える、最も確かな教育投資になるのではないだろうか?