今年の春休みくらいから塾生からの相談で、「学校からの課題が多い」というものがありました。今までは課題が少なかった「ある高校」の課題が急に増えたんですよね。この高校に通う生徒全員から同じ相談を受けましたから(笑)。出された課題の内容を聞いてみても、確かにちょっと多いかなぁという感じでしたね。どうやら睡眠時間を削らないと終わらなかった生徒もいたみたいです。今は、新型コロナウイルスの影響で部活の時間が制限されていますから、その中でこの状態であれば、もうキャパオーバーになっているのかもしれませんね。
内容的にちょっとこれはきついなぁと思ったのは、総合英語の参考書を確認してから、網羅系の文法問題集(ネクステ系)を解くという課題ですね。「参考書を読む→問題集を解く」の順番が指定されています。要するに、問題集のやり方を指定しているんですよね。しかし、これは時間がいくらあっても足りませんね。しかも、基本ができている生徒にとっては、いきなりネクステ系を解いても良いと思うんです。総合英語の参考書は確認用だけにすれば問題ないと思います。でも、大半の高校生は指示通りにやってしまうんでしょうね・・・。共通テストの難易度などを見て、先生方も不安なのかもしれませんが、やはり一律に課題を出すというのは限界があるし、弊害もあるのではないかな?と思います。
昔から、公立高校は上位層と下位層の学力差が激しいと感じています。盛岡一高を例に挙げても、高校入試で開成などの都内難関私立に受かるレベルの子もいれば、高い内申点が無ければとても盛岡一高には合格できなかったというレベルの子もいます。これは昔からそうなのですが、昔は高校からの課題も少なく、進路指導もほとんど無かったんです。最近、高校の同級生と再会して昔話をすると、「高校の進路指導なんて一切なかったよな(笑)」という話になります。だからこそ、自分たちで工夫したし、自分で行きたい大学に行くための道を模索したんですよね。こういう「余地」「遊び」というのは絶対的に必要なんではないのかな?と思うのです。自分で考える事のできる「余地」ですよね。実は、課題が多いからこそ、課題が無いと何もやらなくなる。こういう事なのではないかな?と感じるのです。
ですので、一律に課題を増やす理由が、単に演習量を増やすという目的なのであれば、それはやめたほうがよいのでは?と感じるのでした。