受験

公立高校受験に戦略なんて要らないよ

地方都市の公立高校受験→戦略よりも基礎学力の習得

はじめに

地方の公立高校入試においても、「受験戦略」や「特殊なテクニック」が必要であるかのように言われることがある。

しかし、地方の公立高校入試において最も重要なのは、戦略やテクニックではなく、基礎的な学力をしっかりと身につけることだ。

地方の公立高校入試は、競争が激しいわけではない。

だから、基礎を固めていれば、どこの高校でも十分に合格することができる。

このような入試なのに、受験戦略や解法テクニックに頼りすぎてしまうと、

高校入学後に、困ってしまうんだ。

高校入学後の勉強においては、しっかりとした基礎学力が必要になる。

しかも、進学校であればあるほど、この傾向は顕著となる。

今日は、地方都市における公立高校受験について、戦略よりも基礎学力を身につけることがどれほど大切なのかを少し解説してみたいと思う。

地方都市の公立高校受験の特徴

地方都市の公立高校受験には、特徴がある。

競争が、そこまでは激しくないという点だ。

中学生の大半は地元の高校に進学し、受験も比較的スムーズに進むことが多い。

地域のトップ高の定員割れも多くなってきたからね。

このことからも、受験生にとって「受験戦略」は重要な要素ではない。

むしろ、戦略なんかよりも、日々の学習をしっかり行うことが重要になるんだ。

受験勉強において大切なのは、戦略に依存したりはせず、

基礎をしっかりと固め、安定した成績を維持すること。

これだ。

基本的な知識とスキルを身につけていれば、合格に繋がることがほとんどだからだ。

盛岡一高も例外ではないよ。

基礎学力が鍵となる理由

中学校の授業と高校の授業は予想以上にギャップが大きい。

これは入学後にほとんどの人が経験することだ。

そのため、授業を理解するためにも、基礎的な学力が中学以上に求められる。

高校のカリキュラムは中学校と比べて高度で専門的になるから、基礎ができていないと、授業についていくのが難しくなるんだよね。

逆に言えば、中学校でしっかり基礎を固めていれば、高校に進学した後もスムーズに学習を進めることができる。

基礎学力を身につけている生徒は、受験に対するプレッシャーを感じることなく、高校生活をスタートできる。

しっかりとした土台があれば、新しい知識を積み重ねるときにも、安定した学習が可能になる。

そういうことだ。

解法テクニックに頼りすぎるリスク

解法テクニックに頼りすぎることには、リスクがある。

確かに、テクニックを使って難しい問題を一瞬で解くことは、快感だ。

とてつもなく気持ち良いかもしれない。

しかし、それに慣れてしまうと、

基礎的な学力を身につけることが疎かになってしまうんだ。

基本的な知識が不足していると、結局は、その先の応用問題や難易度の高い問題でつまずいてしまう。

受験期に「解法テクニック」を使って成績を上げることができても、

高校以降では、そのテクニックが全く通用しないんだよね。

高校受験はあくまでスタートライン

高校受験は、スタート地点であり、終わりではない。

受験後にどれだけ成長できるかが、重要なんだ。

受験で一時的な成功を収めることにこだわるよりも、安定した土台を作ることが重要だ。

高校の勉強は、その後の大学受験や就職活動にも大きな影響を与えるから、

高校入学後も継続的に努力を積み重ねていく必要がある。

そのためにも、高校受験に向けての勉強で、

基礎学力をしっかりと身につけることが、大切なんだ。

まとめ

地方の公立高校受験では、受験戦略に頼るよりも、しっかりとした基礎学力を身につけることが重要だ。

もっと言うなら、戦略なんか無視して、無理矢理にでも受験を突破してしまうような強さを身につけて欲しいところだ。

少なくとも、岩手県内の公立高校入試なら、戦略なんて不要だ。

重要なのは、高校受験後のために、受験勉強を通して基礎を固めておくこと。

基礎を固めて、固めて、固めておくこと。

それが、高校生活を有意義に過ごすことにつながるからだ。

中学生諸君!もっとパワフルに!

岩手県の公立高校入試で、コスパを求めちゃいかん。

コスパ、タイパは自分を成長させないぞ?

ただ怠惰になるだけだ。

テクニック?何それ、美味しいの?

これぐらいの気持ちで、泥臭く、高校受験をクリアしようじゃないか。

では、最後に、宮沢賢治の詩を贈ろう。

【生徒諸君に寄せる / 宮沢賢治】

中等学校生徒諸君

諸君はこの颯爽たる

諸君の未来圏から吹いて来る

透明な清潔な風を感じないのか

それは一つの送られた光線であり

決せられた南の風である

諸君はこの時代に強ひられ率ゐられて

奴隷のやうに忍従することを欲するか

今日の歴史や地史の資料からのみ論ずるならば

われらの祖先乃至はわれらに至るまで

すべての信仰や特性は

ただ誤解から生じたとさへ見え

しかも科学はいまだに暗く

われらに自殺と自棄のみをしか保証せぬ

むしろ諸君よ

更にあらたな正しい時代をつくれ

諸君よ

紺いろの地平線が膨らみ高まるときに

諸君はその中に没することを欲するか

じつに諸君は此の地平線に於ける

あらゆる形の山嶽でなければならぬ

宙宇は絶えずわれらによって変化する

誰が誰よりどうだとか

誰の仕事がどうしたとか

そんなことを言ってゐるひまがあるか

新たな詩人よ

雲から光から嵐から

透明なエネルギーを得て

人と地球によるべき形を暗示せよ

新しい時代のコペルニクスよ

余りに重苦しい重力の法則から

この銀河系を解き放て

衝動のやうにさへ行はれる

すべての農業労働を

冷く透明な解析によって

その藍いろの影といっしょに

舞踏の範囲にまで高めよ

新たな時代のマルクスよ

これらの盲目な衝動から動く世界を

素晴らしく美しい構成に変へよ

新しい時代のダーヴヰンよ

更に東洋風静観のキャレンヂャーに載って

銀河系空間の外にも至り

透明に深く正しい地史と

増訂された生物学をわれらに示せ

おほよそ統計に従はば

諸君のなかには少くとも千人の天才がなければならぬ

素質ある諸君はただにこれらを刻み出すべきである

潮や風

あらゆる自然の力を用ひ尽くして

諸君は新たな自然を形成するのに努めねばならぬ

ああ諸君はいま

この颯爽たる諸君の未来圏から吹いて来る

透明な風を感じないのか

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