大学まで 母国語で学べる国は 実はすごく少ないんです
当たり前だと思っていませんか?
医学も 法律も 工学も 哲学も 全部 日本語で学べること
でも 世界を見渡すと これは当たり前じゃないんです
アフリカやアジアの多くの国では 大学の授業が英語やフランス語で行われています
かつて植民地にされた国は 宗主国の言語で高等教育を受けざるを得なかった
今でも 自国語では大学レベルの教科書すら存在しない分野がある国が たくさんあります
日本は違います
小学校の算数から 大学の量子力学まで 全部 日本語で学べる
これは 世界的に見て 極めて稀なことなんです
誰がこれを作ったのか
明治時代 西周(にしあまね)や福澤諭吉たちがやったことがあります
西洋の概念を 必死に日本語に置き換えていったんです
「科学」「社会」「哲学」「個人」「自由」
今では当たり前に使っているこれらの言葉は 明治の知識人たちが漢字を組み合わせて作り出した翻訳語です
彼らがいなければ 日本語に「哲学」という言葉すら存在しなかった
さらに 明治初期の東京大学では 外国人教師が英語やフランス語で授業をしていました
でも政府は 優秀な日本人学生を次々と欧米へ留学させ 帰国後に教授として据えていった
明治後期には「日本人が日本語で最先端の学問を教える体制」がほぼ完成しました
そしてもう一つ 明治の義務教育がやったことがあります
英語を教えない と決めたんです
その代わりに 国語と算数だけに全ての時間を集中させました
その結果 欧米諸国も驚くほどの識字率をほぼ100%で達成しました
「やらないことを決めた」から 「やること」が圧倒的に強くなった
多くの植民地化された国では 高等教育を宗主国の言語で行う必要がありました
でも日本は 基礎教育を日本語のみで徹底したため 専門用語の翻訳が進み 翻訳書や日本語の教科書だけで大学レベルの最高学問まで学べる 稀有な国になりました
戦前のエリートたちの凄まじさ
当時のエリートたちの勉強量は 現代から見ると驚くほどです
旧制中学校では 中学生の段階でシェイクスピアの原典を読んでいました
旧制高校(現在の東大などへ進学するためのエリート養成機関)では さらに凄まじいことが起きていました
英語に加えて ドイツ語またはフランス語が義務付けられていました
授業では カントやヘーゲルの哲学書の原書が配られる
1行を訳すために何時間も辞書を引き ノート数ページ分の予習をしておくのが当たり前
訳せなければ 教室から追い出される
当時の高校生たちの間では 外国語の原書をそのまま読むことが最高のステータスとされていました
カフェや寮の部屋で あえてドイツ語の哲学書を小脇に抱えて議論することが「粋(いき)」とされた
この教育の結果 20歳前後の若者でありながら 英・独・仏の3カ国語を操り 西欧の最新の論文や学術書をリアルタイムで読み解く力を持つ人間が生まれました
そして それほどの語学力を持ったエリートたちが 欧米の最先端の知識を日本語に翻訳し続けた
その積み重ねが 今の私たちが日本語で医学を学べる環境を作ったんです
夏目漱石が言い残したこと
イギリスに留学した夏目漱石は こんな言葉を残しています
英語で学ばなければならなかった時代を「英国の属国インドのようだ」と振り返り
日本語で学問ができるようになったことについて
「外国語を使わずに自国語で勉強できることこそが 独立国として至極当然で名誉なことだ」
と言い残しています
漱石はそれを「名誉なことだ」と言った
外国語で学ばなければならない状態を 恥ずかしいことだと思っていた
自国語で最高の学問ができる国であることを 誇りに思っていた
この感覚は 今の私たちに残っているでしょうか?
今 日本の教育は 戦前と真逆の方向に向かっています
ここからが 本当に伝えたいことです
戦前の日本が選んだのは「やることを絞る」でした
義務教育では英語を教えない
国語と算数に集中する
その代わり エリートには死に物狂いで外国語を叩き込む
この選択が 母国語で大学教育が完結できる国を作りました
今の日本の教育は どうでしょうか
小学校から英語が必修になりました
情報(プログラミング)が教科として導入されました
AIリテラシーの教育も始まろうとしています
道徳も 特別活動も 総合的な学習の時間も
全部を 同じ子どもたちに 同じ時間の中で やらせようとしています
戦前とは 真逆の方向です
これは 誰が得をするんでしょうか?
正直に問いたいことがあります
英語の早期教育化で 得をするのは誰でしょうか?
英語教材を売る会社でしょうか?
英語教育産業でしょうか?
プログラミング教育の導入で 得をするのは誰でしょうか?
プログラミング教材を販売する会社でしょうか?
ITサービスを売りたい企業でしょうか?
AIリテラシー教育の推進で 得をするのは誰でしょうか?
AIツールを学校に売り込みたい企業でしょうか?
もちろん これらの教育に意味がないとは言いません
英語は大事です
プログラミングも 将来役に立つかもしれない
AIとの付き合い方を学ぶことも 必要かもしれない
でも 全部を小学生のうちからやらせることが 本当に子どものためになっているのでしょうか?
誰かのビジネスのために 教育が利用されていないでしょうか?
ここは 立ち止まって考えてみてほしいんです
知識がない状態で 全部やっても 全部が浅くなる
戦前の教育が証明したことがあります
やることを絞って 一つのことに集中したとき 人間は圧倒的になれる
識字率ほぼ100%を達成したのは そのおかげでした
旧制高校のエリートたちが3カ国語を操れたのも 他を全部捨てて語学に集中したからでした
でも今 子どもたちは何者にもなれない状態で 全部を同時に求められています
英語も まだ日本語の読み書きが完全じゃない段階で始める
プログラミングも 算数の基礎が固まる前に触れさせる
AIも 自分で考える習慣が身につく前に使わせる
これは 基礎の土台がない状態で 2階を建てようとしているようなものです
全部を同時にやらせると 全部が中途半端になる
中途半端な状態で大人になると 何かを深く考える力が育たないまま 道具だけを使いこなせる人間になる
道具は進化し続けます
今覚えたプログラミング言語は 5年後には使われなくなるかもしれない
今学ぶAIツールは 3年後には別のものに変わっているかもしれない
でも 母国語で深く考える力 論理的に読み書きする力 数学的に問題を解く力
これらは 道具がどれだけ変わっても 消えることはありません
当たり前の中に 先人の努力が詰まっています
今 日本語で勉強していることは 本当は当たり前じゃありません
明治の知識人たちが 必死に言葉を作り
政府が「英語を教えない」という選択をして
エリートたちが命を削るように外国語を学んで 最先端の知識を日本語に翻訳し続けて
その150年分の積み重ねのおかげで 私たちは日本語で医学を学べて 日本語で哲学を考えられる
その財産を 今 私たちは大切にできているでしょうか?
「英語も プログラミングも AI も 全部やらせなきゃ」という焦りの前に
まず 日本語で深く考える力を育てること
算数を 論理的に解く力を育てること
本を 最後まで読み切る力を育てること
これが 先人たちが残してくれた財産を 次の世代に渡す方法だと 僕は思っています
漱石が「名誉なことだ」と言った その誇りを 僕たちも持ち続けたいですよね
「うちの子、志望校に届くんだろうか?」
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