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なぜ今の高校生のトップ層は、みんな医学部を目指すのか? ――「安定」という名の幻想に取り込まれた進路選択の構造を読み解く

【はじめに】トップ層の進路が変わった

1980年代や1990年代、学力トップの高校生といえば、東京大学文科一類(法学部)や理科一類(工学・理学)を目指すのが定番だった。いわゆる「官僚志望」や「研究者志望」が中心で、医学部志望者はごく一部だったと言ってよい。

ところが今、事情は大きく変わった。多くの進学校で、「学年上位層のほとんどが医学部を志望する」という状況が常態化してきている。模試における志望動向を見ても、国公立医学部はトップ層の希望が集中している。

いったい何が変わったのか? どうしてここまで「医学部一強時代」になったのか?そこには、親世代の意識、社会構造の変化、進学指導の在り方までを含む、深い背景がある。

【第1章】かつてのトップ層は「官僚・研究者・起業家」を志した

1970年代から1990年代にかけて、学力トップ層は医学部を「一つの選択肢」として見ていたに過ぎない。むしろ主流は、

  • 東京大学文科一類 → 法律家・官僚
  • 理科一類・二類 → 研究者・技術者
  • 京大・一橋 → 経済・経営・社会政策
    という進路だった。

当時の価値観は、「国を動かす」「世界を変える」ような志向が主流であり、医師という職業は「地に足のついた安定職」ではあるが、「飛び抜けた挑戦」ではなかった。

また、バブル経済期には「医者より商社マンのほうが年収が高い」などという風説も流れ、金融・商社・広告といった民間企業も憧れの的だった。

つまり、「医師=堅実」「官僚=エリート」「起業家=時代の寵児」という住み分けが明確に存在していたのだ。

【第2章】「医師」の社会的地位が相対的に上昇した理由

2000年代に入ると、医師という職業の社会的ステータスが、じわじわと上昇していく。その背景には以下のような要因がある。

● 社会全体の「安定志向」化

  • 1997年の山一証券・拓銀の倒産
  • 2008年のリーマンショック
  • 2020年のコロナ禍による雇用不安

これらの出来事を通じて、多くの人が「終身雇用や大企業は安泰ではない」と悟った。とりわけ保護者世代が「資格がないと不安」と感じるようになり、「医師=鉄壁の安定職」というイメージが定着した。

● 官僚職の没落

一方で、東大法学部に進んだエリート官僚の処遇が大きく変化する。

  • 長時間労働・低賃金
  • 政治家からの圧力
  • 天下り問題・不祥事報道

その結果、「東大法学部に入っても報われない」「官僚になっても疲弊するだけ」というネガティブな情報が広がり、進路としての魅力が薄れた。

【第3章】「医学部一極集中」を招いた教育現場の構造

● 教育業界による医学部信仰のあおり

2000年代以降、進学塾・予備校業界は「医学部専門予備校」や「医学部志望者専用コース」を相次いで設置。難関大学合格実績を売りにする中で、「医学部合格=最高の成功例」という図式が固まった。

実際、偏差値が高く、親ウケがよく、就職も安定している医学部は、教育産業にとって「売れる進路」であり、集中的なプロモーションが行われた。

● 学校現場も「安全志向」

高校の進路指導でも、現実主義が強まっている。「将来が不透明な文系より、医師になれば一生食える」といったアドバイスが当たり前に行われ、「東大よりも地方医学部」という価値観が定着していった。

【第4章】子どもではなく「親」が医学部を目指している

今の中高生を見ていると、「本人が医学に興味がある」というよりも、「親が医者にしたがっている」というケースが非常に多い。特に以下のような家庭でこの傾向が強い。

  • 開業医の子(跡継ぎ)
  • 医師ではないが高収入層(弁護士・経営者・公務員)
  • 中流家庭で上昇志向が強い親

こうした親たちは、「うちの子はとにかく安定していてほしい」「東大卒でも無職では困る」と考え、「だったら医学部」というロジックで受験を推し進める。

つまり、今の医学部志望は、子どもの意思ではなく「親の安心」のために選ばれていることが少なくないのだ。

【第5章】「東大より地方医学部」の時代が意味するもの

近年では、東京大学の理科一類・二類に合格できる学力を持ちながら、あえて「地方の国公立医学部」に進む受験生が少なくない。

これは非常に象徴的な現象だ。かつては、東大合格=人生の勝利と考えられていたのに、今では「東大では将来が不安だから、医師免許のある地方大学」という価値観が定着している。

ここには、

  • 学歴ブランドの相対的凋落
  • 専門職志向の台頭
  • 東京一極集中の疲弊
    など、さまざまな現代的要素が絡んでいる。

【第6章】問題提起:「本当に医師を目指すべきなのか?」

ここで考えたいのは、「医学部=最良の進路」という構図が本当に正しいのか?という問いである。

● 医師も決して楽ではない

  • 長時間労働、当直、過重な責任
  • 医療訴訟のリスク
  • 感染症や災害時の前線対応

確かに収入や安定性は高いが、そのぶん過酷な環境に置かれることが多い。本人に強い使命感や体力がなければ、かえって燃え尽きてしまうリスクもある。

● 「好きなことを仕事に」ではなく「確実な職を取る」

本来、進路選択とは「何を学びたいか」「どう生きたいか」という個人の内発的動機に基づくべきだ。しかし、今の医学部志望には、「他にリスクを取れないから医学部しかない」という消極的選択が目立つ。

【第7章】「トップ層=医学部志望」が日本社会にもたらす影響

この傾向が続けば、日本社会全体にも以下のような問題が生じかねない。

● 優秀層の偏在

医師ばかりが増え、研究者・技術者・起業家・政策立案者が相対的に減る。未来を創る仕事に人材が集まらないことは、国家の競争力低下につながる。

● 多様性の欠如

「とりあえず医学部へ」という同調圧力は、多様なキャリアモデルを阻害し、「個人の自由な選択」や「創造性のある挑戦」を妨げてしまう。

【おわりに】本当にその進路で、君は満足できるのか?

医学部に進むこと自体は、決して悪いことではない。命を救う専門職として、崇高な使命を持つ素晴らしい職業である。

だが、それが「一番安定しているから」「他の進路は不安だから」という理由で選ばれているとしたら、それは不幸なことだ。

進路選択とは、本来もっと自由で、希望に満ちたもののはずだ。どんなに険しい道でも、自分の志があれば、乗り越えられる。「自分は何をしたいのか」を問う勇気を、私たちは忘れてはならない。

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