子どもに将来の夢を持たせようとする時、
僕たち大人はよく、
「伝記を読みなさい」
とか
「目標とする人物を見つけなさい」
とかアドバイスをしてしまいます。
立派な目的を持ち、困難を乗り越えて何者かになる。
そんな偉人たちのストーリーは、一見すると素晴らしい教育のツールに思えます。
しかし、少しうがった見方かもしれませんが、
これは大人の都合の良い「憧れの利用」ではないかと感じることがあります。
子どもに立派な目的を持たせ、競争社会のレールに放り込むために、
伝記という美談を無意識に使ってしまってはいないでしょうか?
競争に勝って名を残した人は、実はほとんどいない
歴史に名を残した偉人たちの実際の人生を紐解いてみると、彼らは当時の競争社会を勝ち抜いたエリートではありません。
アインシュタインは大学での出世競争から外れた特許局の審査官時代に相対性理論を生み出し、
日本の知の巨人である南方熊楠は当時の学歴社会から完全にドロップアウトして、森の中でひたすら粘菌を探していました。
ダーウィンも、親が望んだエリートコースから外れ、ただ自分の好きな生き物の観察に没頭していただけです。
彼らは「誰かに勝つため」や「立派な偉人になるため」に努力したわけではありません。
既存の競争から降りて、ただ自分の興味という「独自路線」に没頭した結果、
後から世界が勝手に意味づけをして名が残っただけなのです。
目的は後からついてくる
何かを始める時に、最初から立派で明確な動機なんて本当は必要ありません。
目の前にある身近なものにただ向き合い、
その延長線上に、
結果として何らかの意味を見出していく。
それが人間の自然な姿ではないでしょうか?
「将来何になりたいの?」「目的を持ちなさい」と急かし、
他者との競争を前提にしてしまうと、
子どもたちは目の前のささやかな幸せや、
自分だけの興味の種を見失ってしまいます。
何者かになるために、無理に目的を作る必要はありません。
競争のレールから降りて、目の前の当たり前をきちんと捉える。
そんな毎日の積み重ねの先にこそ、
誰とも比較されないその子だけの「独自路線」が拓けていくのだと、僕は思っています。
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