「やる気はあると思うんです。でも、なぜか続かなくて」
無料個別相談で、保護者の方からよく聞く言葉です。
子どもを責めたくない。でも、このままでいいのかも不安。そのはざまで、どうしたらいいかわからなくなっている。
原因は「やる気がない」ことではないと、私は思っています。自由を与えられすぎて、動き方がわからなくなっているだけなんです。
10年間、盛岡で中学生・高校生を見てきた塾長として、今日はその話を正直に書かせてください。
「自由」って、そもそも何だろう
「自由にさせてあげよう」という言葉、よく聞きますよね。
でもちょっと待ってほしいんです。その「自由」って、何を指しているんでしょうか。
自由には、実は2種類あります。
ひとつは外からの自由。宿題をやらなくていい、好きなことをしていい、という「干渉されない状態」です。
もうひとつは内側の自由。自分で目標を決めて、自分で動ける力。「やりたいことに向かって、自分を動かせる状態」です。
子どもに本当に必要なのは、後者です。でも多くの場合、前者だけが与えられてしまう。
「好きにしていいよ」と言われたとき、動き方がわからない子どもは、ただ止まってしまいます。それをやる気がないと見られてしまう。でも本当は、動き方を教えてもらっていないだけなんです。
「自由な教育」が生んだ、ちょっと困った現実
ゆとり教育、覚えていますか?
「子どもに自由な探究心を」というコンセプトでしたが、現場では「指導の放棄」に近い形になってしまったことが多かった。基礎学力が落ち、生活リズムが乱れ、「自分でやれ」と言われても何をどうすればいいかわからない子どもが増えた。
これは今も続いている話です。形は変わっても、「子どもの個性を尊重する」という名のもとで、必要な訓練が抜け落ちていることがある。
現場でよく見る「自由の勘違い」
具体的に話しますね。塾でも、家庭でも、よくある場面です。
「自由に発言していいよ」の落とし穴
授業中に自由に発言させること自体は悪くない。でも「全員が発言しなければいけない」雰囲気になると、内向的な子や、じっくり考えたい子が追い詰められます。発言しないことも、その子の思考の形なのに。
「選択肢をたくさん与えよう」の落とし穴
進路も、部活も、勉強の方法も、選択肢が多すぎると子どもは固まってしまいます。「何でも選んでいいよ」は、選ぶ力がまだない子にとっては、優しさじゃなく重荷になることがある。
「自由な時間を与えよう」の落とし穴
時間の使い方を教えずに「好きに使っていいよ」と言うと、時間はただ流れていきます。ゲームをしていたとしても、それは子どものせいじゃない。使い方を一緒に考える大人がいなかっただけです。
「好きなことを学べばいい」の落とし穴
興味のあることを学ぶのは大切。でも基礎がないまま好きなことだけやっていると、どこかで壁にぶつかります。算数が苦手なまま理科が好きになれるかというと、なかなかそうはいかない。
これらに共通しているのは、「自由を与えた」つもりが「放置になっていた」ということです。
「自分の人生を自分で選べ」と言われながら、何をどう選べばいいかを誰も教えてくれていない。そういう子どもが、今たくさんいます。
「放っておけば育つ」は、残念ながら幻想です
自由な教育を支持する人たちの根底には、「子どもはもともと善であり、放っておいても自己実現へ向かう」という考えがあります。
でも、現実の子どもはそうじゃない。環境に大きく左右される存在です。
善悪の判断も、努力する意味も、他者への配慮も、自然には育ちません。教えられて、経験して、初めて身につくものです。
教育とは、理想の人格に向かって導くプロセスです。自由を保障することではなく、望ましい自由を選べる力を育てることが、本当の教育だと私は思っています。
自由の前に、訓練が必要な理由
少し厳しいことを言いますね。
子どもに自由を与える前に、必要な訓練があります。それを飛ばして自由だけ与えると、子どもは混乱します。何をしていいかわからなくなって、自己肯定感まで下がってしまうことがある。
必要な訓練は、大きく3つです。
- 思考の訓練……基礎学力と、筋道を立てて考える力
- 習慣の訓練……生活リズム、時間の使い方、集中する力
- 感情の訓練……イライラや不安と向き合う力、粘り強さ
自由とは「やりたいことができる状態」ではなく、「やるべきことに集中できる状態」です。その状態を作るのが、訓練です。
「責任」を経験することで、自由が育つ
子どもが本当の意味で自由になるには、自分の行動の結果を経験することが必要です。
宿題をしなければ、授業についていけなくなる。約束を破れば、信頼を失う。ルールを破れば、何かが変わる。
こういう小さな「やったことが返ってくる」経験の積み重ねが、自由と責任を一体のものとして理解させてくれます。
これを奪ってしまうのが、過保護と放任の両方です。どちらも、子どもから経験を取り上げてしまう。
「管理」でも「放任」でもない、第三の道
管理するか、自由にさせるか。この二択で考えている親御さんが多い気がします。
でも、本当に必要なのはその間にある道です。
支援しながら、自立させていく。
最初は細かく一緒にやる。少しずつ任せる範囲を広げる。失敗しても、そこから立て直す経験をさせる。そのプロセスの中で、子どもは「自分で動ける」という感覚を手に入れていきます。
それが、本当の意味での自由への道だと思っています。
「子どもを信じる」の本当の意味
「子どもを信じて、自由にさせてあげよう」という言葉があります。
私もそう思います。ただ、「信じる」の中身が大切です。
子どもを信じるとは、今この瞬間に何でもできると思うことではなく、いつかこの子が自分で判断して、責任を引き受けられる人間になると信じることだと思っています。
そのために、今ここで導く。支える。時に立ち止まらせる。そういう「勇気ある大人」の存在が、子どもには絶対に必要です。
自由とは、与えるものではなく、育てるものです。
「子どもの自由」を本当に尊重するとは、その自由を生き切れる力をつけてあげることだと、私は10年間、教室でそう思い続けてきました。
この記事で書いてきたことを、私は盛岡の小さな教室で毎日やっています。
特別なことは何もしていません。教科書と学校ワークを、最後までやり切らせる。それだけです。
「自由」を与える前に、自由を生き切る力をつけさせる。それがアンビシャスのやり方です。
盛岡で子育て中の方は、こちらも読んでみてください。
→ アンビシャスの考え方
「やる気はあるのに、なぜか動けない」
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